本物のパリとの大きな違いが一点、あるように思う・・・
【day】41~42日目
【route】プエルト・イグアス→ブエノスアイレス
前回の「旅の日記」に綴ったとおり、「イグアスの滝」の見学を無事終えた私たち。
その足で、プエルト・イグアスの国際空港から飛行機で一路、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスを目指します。
所要約1時間45分。大自然から、大都会へとやって来ました。
宿は、ブエノスアイレスの下町、サン・テルモ地区にある「オテル・カーリー/Hotel Carli」(一泊一室 $250 ≒¥2,000。)。
かなり年季の入ったお宿で、雰囲気はステキだけど、その分、狭くてジメジメ。二度目はナイかな…というお宿でした。
さて、ブエノスアイレスといえば、ヨーロッパ移民が築いた街。そして、“南米のパリ”と称される、人口約290万人の大都市です。
「パリ」ってことは、そんなにオシャレで美しい街が、ここ南米にあるのか!?…と、到着の翌日、半信半疑で街歩きを開始しました。
“世界一幅の広い道”とされる「7月9日大通り/Av. 9 de Julio」。
ブエノスアイレスの情報発信地、【サン・ニコラス地区】を南北に走り抜ける通りです。
通りの中心には、オベリスコ(オベリスク)がそびえ立っています。
行政機関の集まるエリア、【モンセラート地区】に行くと「国会議事堂/Palacio del Congreso Nacional」が。
そして「5月広場/ Plaza de Mayo」に行くと、「カサ・ロサーダ/La Casa de Gobierno」、つまり大統領府が。
この大統領府のテラスは、1986年のサッカーW杯・メキシコ大会でアルゼンチンが優勝した際に、あのディエゴ・マラドーナが帰国後に優勝杯を掲げた場所。夫、大興奮。
交通の要所である【レティーロ地区】には、ブエノスアイレスで最大規模の駅「レティーロ駅/Estacion Retiro」が。
駅の目の前の「アルゼンチン空軍広場/Plaza Fuerza Aerea Argentina」には、ロンドンのビッグベンと同じ音で鐘が鳴るという大時計「英国塔/Torre de los Ingleses」。
アルゼンチン独立100周年を記念してイギリス政府から寄贈されたものだけど、その後のフォークランド紛争で格好の標的となり、かなり破壊された…という空しいストーリー有り。
私たちの宿泊している【サン・テルモ地区】は、タンゴが生まれた頃の町並みが残る…といわれるエリア。日曜には骨董品市が出たりと、他の地区とは違ってレトロな雰囲気が漂っています。
レンガ造りの保税倉庫街を再開発した【プエルト・マデーロ地区】。日本でいうと、横浜の赤レンガ倉庫のようなものでしょうか?
そして、ブエノスアイレスには地区を問わず、至る所にカフェだらけ。
なかでも最も有名なのが、モンセラート地区にある「カフェ・トルトーニ/Cafe Tortoni」。1858年に創設されたという、ブエノスアイレスで最も歴史あるカフェ。
文化人が集まるパリのカフェを模したとのことで、脚本家や詩人など、著名人が集まっていたそうです。
店内の造りから雰囲気まで、確かにパリにありそうなカフェ。
さらに、街の外れにはやたらとアーティスティックなウォールアートがあったり、
光が在れば影もあったりするところまで、
・・・なるほど、確かに“南米のパリ”と言われるのもよくわかります。
しかし、パリとは違うかな?…と個人的に思う、大きな点が一つ。
それは、街全体に“哀愁”が感じられるということ。確かに華やかな大都市なのだけど、どこかで物悲しさも感じた私たち。
そしてそれを象徴するのが、ブエノスアイレスが発祥といわれる「タンゴ」のように思うのです。
サン・テルモ地区の「ドレーゴ広場/Plaza Coronel Dorrego」で偶然出くわしたタンゴのパーティー。
地元の人々が音楽に合わせて一斉にダンスを始めます。ブラジルのように大騒ぎではしゃぐ…というよりも、官能的でしっとりとした雰囲気が、広場に自然と広がっていくのが印象的。
ラストは、プロのタンゴダンサーが登場。圧巻のパフォーマンスと、妖艶でどこか物悲しい世界観に、地元の人も旅行者も、釘付け。
タンゴは、「移民の苦悩から生まれた」…と云われているそうです。
故郷を失い、アルゼンチンの生活にも馴染めなかった……そんなヨーロッパからの移住者たちが、鬱憤を晴らすために、酒をあおり、歌を歌い、そしてひたすら踊った。そんな苦悩の中から、タンゴは生まれたのだ、と。
話を戻せば、そもそもブエノスアイレスが“南米のパリ”と呼ばれるほどパリの街並みに似ているのは、決して偶然ではなく、そこには確かな理由がありました。
豊かな生活を求めて、あまりにも遠い土地にやって来たヨーロッパ移民たち。祖国に思いを馳せながら、祖国にも負けないヨーロッパの街を、ここ南米に築くことを夢みた。
しこし、そこは何もない大草原。
切り拓くこと、要した年月は4世紀以上。
そのあまりにも長い過程の中で誕生した、タンゴ。
そのタンゴの根源は、「移民の苦悩」。
…やはり、私たちの違和感は間違いではなかったような気がする。
ブエノスアイレスは確かに、“南米のパリ”。
但しそこは、“哀愁のパリ”なのでした。
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