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大航海時代を迎えていなければ、ポルトガルの郷土菓子は存在しなかった…?

【day】77〜82日目
【route】リスボン


前回の「旅の日記」に綴ったとおり、ポルトガルはリスボンに到着した私たち。

ポルトガルといえば、言わずと知れた郷土菓子の宝庫!…というわけで、妻・あやが、今回の世界一周の旅で、訪れることを最も楽しみにしていた国の一つ。

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早速リスボンの街に飛び出せば、そこは想像以上の郷土菓子パラダイス! フランスなど他のヨーロッパ諸国のような華やかさはありませんが、どれも素朴で、どこか懐かしい味わいで……まさにお菓子の原点が、そこにありました。

追って紹介していきたいと思いますが、カステラや金平糖など、なんと日本で古くから愛されてきたお菓子も、元々はポルトガルから伝わったものなのです!

※ 詳しくは↓コチラの記事へ
*世界の郷土菓子* ポルトガルの「Doce de Ovos/ドース・デ・オヴォシュ」
 

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それにしても、極東にまで多大な影響を与えたポルトガルのお菓子文化とは、一体どのように育まれたのか? それはやはり、大航海時代のポルトガルの歴史抜きには語ることはできません。

・・・というわけで今回は、ポルトガルの黄金期の象徴である、リスボンの世界遺産について!

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15世紀半ばから17世紀半ばまで続いた大航海時代。スペインと共にその時代を切り拓いたポルトガルは、アフリカ・アジア・アメリカ大陸と、世界中で大規模な航海を展開しました。

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こちらはリスボンで最も有名な碑である「発見のモニュメント/Padrão dos Descobrimentos」。エンリケ航海王子の500回忌を記念して、1960年に造られたものです。

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このモニュメントには、インド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマ(左から3番目)から・・・

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私たちにもお馴染みの、日本で布教活動を行ったフランシスコ・ザビエル(右手前)まで、大航海時代に活躍した偉人たちの彫刻を見ることができます。

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ちなみにモニュメント前の広場には、大理石のモザイクで、世界地図と各地の発見年号が記されているのですが・・・

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・・・「日本の発見」は1541年となっていました!

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・・・というわけで、大海原へと飛び出し、航路開拓や他国への植民地支配によって、莫大な富を手に入れることに成功したポルトガル。

当然、植民地支配の拡大と安定に貢献したキリスト教もその恩恵にあずかり、リスボンには多くの教会や修道院が建てられました。

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そしてそれを代表するのが、世界遺産「ジェロニモス修道院/Mosteiro dos Jerónimos」

エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称え、また、航海の安全祈願して造られたこの修道院には、大航海時代に栄華をきわめたポルトガルの、莫大な富がつぎ込まれたそうです。

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1502年に着工し、完成まで要した歳月はなんと1世紀!! いやいや、時間かけ過ぎでしょー!…と、はじめは思ったけど、なるほど、外壁の繊細な彫刻を目の当たりにしただけで、早々に納得してしまいました。

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そして門をくぐると、まず待ち受けているのは「サンタ・マリア教会/Igreja de Santa Maria」。

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さすが、航海の安全祈願のために建てられたということで、ヤシの木を模した柱には、船のロープに波・海草・サンゴといった、航海や海をモチーフにした模様が彫られていました。

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そしてこの教会にはなんと、あのヴァスコ・ダ・ガマが眠る棺が安置されているのです! この場所に、そしてこんなにも立派な棺に葬られているなんて、う〜ん、さすがポルトガルの英雄。

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なお、ヴァスコ・ダ・ガマがポルトガルでいかに称えられた存在であったかということは、ジェロニモス修道院から1kmほどのところにある「ベレンの塔/Torre de Belém」からもよくわかります。

これはなんと、ヴァスコ・ダ・ガマの業績を称えて1520年に建設された、テージョ川河口を守るための要塞兼、灯台だったのだとか。

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そして、このベレンの塔とジェロニモス修道院は、大航海時代とポルトガル海上帝国の栄華の象徴的な遺産として評価され、「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」として、1983年にユネスコの世界文化遺産に登録されたのでした。

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・・・話しは戻って、ジェロニモス修道院へ。教会の見学を終えてさらに中へ進むと、この修道院のハイライトである、中庭と回廊へと出ます。

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中庭を四方に囲む回廊は、その完成度の高さから、マヌエル様式(大航海時代の繁栄を象徴するポルトガルの建築・芸術様式)の最高傑作といわれているそうです。

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それだけではなく、さすがポルトガル、壁面にはやっぱり立派なアズレージョ(タイル)も使われていました!


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・・・というわけで、大航海時代の富がつぎ込まれたというのも素直にうなずけるほど、スケールが大きく、それでいて美しく繊細だった、世界遺産・ジェロニモス修道院。

そして、前回の「世界の郷土菓子」の記事でも綴ったとおり、ポルトガルの郷土菓子の多くは、元々はこれらの修道院で誕生したものでした。


ポルトガルではかつて、修道士となるための支度金の代わりに、鳥や卵を教会に納める習慣がありました。そういった背景もあって、中世の修道院ではなんと、僧服やシーツの糊付けに大量の卵白が利用されていたのだとか。

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そして、副産物の卵黄も捨てずに活用しようという動きの中で、卵黄を使ったお菓子作りの文化が修道院で育っていった……というわけなのです。

さらに、ジェロニモス修道院が象徴するように、大航海時代のポルトガルの繁栄の中にあってキリスト教は莫大な富を得ることとなり、それによってイスラム地域からもたらされた貴重な砂糖も贅沢に使うことができたため、この時代に多くのお菓子が修道院で誕生したのだそうです。

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つまり、ポルトガルのお菓子文化は、大航海時代の富によって成長を遂げ、さらにそれが続々と開拓される新航路によって、日本をはじめ世界中へと伝播していった。

言い換えれば、大航海時代を迎えることがなければ、ポルトガル、そしてヨーロッパのお菓子文化が、今日にみられるような、世界の製菓産業をリードする存在にはなり得なかったかもしれない……と考えるのは、飛躍しすぎでしょうか?

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いずれにせよリスボンの世界遺産を通じて、ポルトガルの郷土菓子が、世界で愛される郷土菓子となり得た所以を、肌で実感することができた今回の旅。

さすが郷土菓子大国……インプットが多過ぎてすでに頭の中がパンパンですが、ポルトガルに来ずして「世界の郷土菓子を巡る旅」なんて言えなかったな〜と、今日も喜びを噛み締めるのでありました。

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\世界一周を終え、カフェをopen/



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