ゴッホの絵と、アルルの風景を、実際に見比べてみました
【day】92〜93日目
【route】アルル
前回の「旅の日記」に綴ったとおり、南仏はアルルに到着した私たち。
アルルといえば、世界遺産にも登録されたローマ遺跡が点在する街ですが、それ以上に、画家 フィンセント・ファン・ゴッホゆかりの地として、広く知られています。
わずか15ヶ月のアルルでの暮らしの中で、ゴッホが生み出した作品はなんと300点以上。『ひまわり』をはじめ、代表作とされる作品の多くが誕生したのも、ここアルルでした。
そんなアルルの街中には、あちこちにゴッホの絵が置かれていて(もちろんプリント版)、実際の風景と見比べられるようになっています。
そしてそれらのスポットは、要所要所で地面に埋め込まれているルート標識を頼りに、探し出すことができます。ちなみに右側は、古代ローマ遺跡に関するスポットのルート標識。
・・・というわけで今回は、せっかく二日かけてそのスポットを探し当てたので、ゴッホが描いた風景の数々を、ここで紹介したいと思います!
『病院の中庭』
↓実際の風景↓
ご覧のとおり、そのままの風景が本当に残っていて、思わず鳥肌が! かつてゴッホが入院した病院ですが、現在は総合文化センターになっているのだそうです。
建物の中に入ってみると、その一室にはアトリエ スペースが。ゴッホが描いた風景の中で創作活動なんて、どんだけ洒落てんだよ!…と、ツッコんでおきました。
『黄色い家』
↓実際の風景↓
ゴッホが一室を借りて、アルルでの活動拠点にしていたという「黄色い家」。描かれている建物がしっかり残っているじゃないか! ということは、ゴッホの部屋も…!?
……と、期待したいところですが、「黄色い家」は、この大きな建物の手前にあった、二階建ての家。残念ながら1944年、第二次世界大戦下で爆撃され、現存していないのであります、、、
『アルルの跳ね橋』
↓実際の風景↓
まさか木造の跳ね橋が、未だに残っていただなんて! しかし当然ではあるけど、風景は随分と変わってしまったんだな〜…なんて思って見ていたら・・・
・・・なんと、実際に描かれた場所はコチラで、橋だけが先ほどの写真の場所に移築されたのだそうです。変わったどころの騒ぎじゃなくて、当時の面影は皆無でした(苦笑
『星降る夜』
↓実際の風景↓
この日は星こそあまり出ていなかったものの、『星降る夜』は究めて写実的に描いた作品だったんだなぁ〜ということがよくわかった瞬間でした。
ちなみに、日中の同じ場所には、こんなカンジの風景が広がっています。
『円形競技場』
↓実際の風景↓
ん? なんじゃこりゃ?…と思われる方がほとんどだと思うので、画を引いてみると・・・
はい、全貌はこのような、古代ローマの円形競技場なのであります。構図の取り方からして、やはり常人ではないのだなぁということを、ここに立つと実感します。
『公園の入口』
↓実際の風景↓
ゴッホが描いたような「入り口」は残っていなかったけど、よ〜く見てみると、絵の中に登場する木々が今も残っていることにほっこりしました。
ちなみに、この「ジャルダン・エテ/Jardin d'ete」という公園の周辺には、今ではほとんど取り壊されてしまった、ローマ時代の城壁を見ることができます。
『トランクタイユ橋の階段』
↓実際の風景↓
写真では車に隠れてしまっているけど、作中の手前に描れている階段も健在でした。
そして、ゴッホの絵の中で見ていた頼りない木が、130年近く経ってこんなに立派に育っていたのかと思うと、妙にジ〜ンとくるのはなぜでしょう。
こちらがトランクタイユ橋の全体像。ゴッホが描いていた囲いのようなものはなく、見た目も新しそうなので、架け替えられたものと思われます。
『アリスカンの並木道』
↓実際の風景↓
一応、絵に近い風景を収めることはできたけど、実際にこうして写真を撮ってみて気付いたのは、ゴッホの目線がまるで中二階に置かれているような構図が多いということ。
脚立の上に立って撮影すれば、きっと同じ構図になるんだろうな……と思うシーンが何度もありました。
ちなみにここ、「並木道」だなんていうもんだから、どんなごきげんお散歩コースかと思っていたら、なんとヨーロッパ最大のキリスト教墓地の一つなのだとか!
ゴッホの絵に描かれていた、てっきりベンチだと思っていたものも、実は石棺だったというのだから、それはもう驚きなのでした。
『夜のカフェテラス』
↓実際の風景↓
最後は、ゴッホの中でも最も好きな作品の一つ。だいぶ観光地化はされていたけど、それでもやっぱりこのカフェを発見したときの感動といったらもう、筆舌に尽し難いものがありました。
店内の様子はこんなカンジ。やっぱりみんなテラスに座りたいので、中はガラガラでした(笑
もちろん我々も、テラスに座って夕食を。正直、食事はあまりおいしくなかったけど(苦笑)、ゴッホの絵の中で過ごせただけで、満足度は◎なのでした。
オランダ、ベルギーでの暮らしを経て、フランスはパリ、そしてアルルへとたどり着いたゴッホ。
彼の人生を知るにつけ、なぜ南仏に魅かれ、そしてそこで才能を爆発させたのかが、昔からずっと気になっていたのだけど、今回アルルを訪ねたことで、そのワケがほんの少しわかったような気がします。
東北は福島、そしてゴッホの故郷であるオランダと、「北」で幼少期を過ごしてきた自分には、「南」への漠然とした憧れがあります。それを明確に認識したのは、ベタだけど、生まれて初めて沖縄に降り立ったときのこと。
あまりの太陽の力強さに圧倒されながら、緑ってこんなに鮮やかなんだ、海ってこんなに蒼いんだ…と、国道58号線を駆け抜けるだけで、それはもう感動の嵐。まるで、自分の気付かない内に貼られていた眼前の曇りガラスが、一気に取り払われたような爽快感。
そしてそのときの感覚は、ここアルルの街を歩く中で、段々と蘇ってきました。
もちろん、流れている空気感や雰囲気は全くの別ものなのだけど、気が付けば、曇りガラスはどこへやら。燦々と降り注ぐ陽の光が、まるで自分の内面の暗〜い部分をも取り去ってくれるような、そんなうれしい錯覚にさえ陥る。
南仏は、地中海に面しているため温暖とはいえ、緯度は札幌と同じくらい。それなのに、やっぱり体感としては「南」だと感じるのは、不思議なものです。
ゴッホが生きた頃のオランダは、まだまだ貧しい生活を送る人々が非常に多かったわけで、豊かな時代のオランダに住まわせてもらった自分には、本当の意味での当時の過酷さを知る術はありません。
でも少なからず、一年を通して陽が差す時間は非常に短く、特に、重い雲が空を覆い隠す、あの長い冬に入ったときのオランダの言いようのない息苦しさは、共有できているはず。
そんなヨーロッパの「北」で生まれ育ち、パリの雑踏に押し潰され、「南」に救いを求めて、ここアルルへと流れ着いたゴッホ。
そのとき彼が、どれほどの感動と開放感と共に、絵を描かずにはいられない衝動に駆られたことか。それが故に、自分の耳を切り落とすほどの激情に憑かれたゴーギャンとの別れは、どれほど無念だったことか。
自分は芸術家でもなんでもないけれど、アルルを訪ねたことで、それまでいまいち捉えることのできなかった南仏時代のゴッホの輪郭を、ようやく少し認識できたような気がします。
生前に売れた絵は、わずか数枚。不遇の人生といわれるけれど、ここアルルで過ごせたわずかな時間は、きっと幸せだったんだと思う。
そんなゴッホの姿を初めて想像できたとき、なんだか勝手だけど、少しほっとした気持ちになった、南仏・アルルの旅なのでした。
ひでつぐ
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*世界一周の旅を経て、
お菓子ブランドをスタート!
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私が、アルルに行ったのは4年くらい前です。ラングロア橋まで、ホテルから徒歩で1時間くらいで到着しました。背中のリュックには、8号までのスケッチブックなど、数点水彩に残しました。5時間くらい現地におりました。隣の家も描きました。アリスカンは2時間くらいいて、ただの1人も歩いていない時間帯で、恐ろしさが絵に残っています。ローヌ川もヘンテコな絵が残っています。アルルは、見どころ満載、3泊だったのが残念です。
英君のアルルでのゴッホに対する感情移入が非常によくわかります。英君のセンスも文ちゃん同様素晴らしい!!
太田さん、ありがとうございます!念願のアルルだったので、ひたすら感動しきりでした〜
ヒデツグ