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旅と郷土菓子のストーリーも届けられる、パティシエに


パティスリーでの怒涛の弟子入り生活から始まり、ホテル、レストランと場を移しながら、主にフランス菓子やレストランデザートを作り続けていた、日本での毎日。

9年前、アパレル業界からパティシエの世界に飛び込んだ私にとってそれは、まさに夢みていた充実の日々でした。

 

しかし、ある時を境に、それまでとはまた違う角度から、お菓子やデザートを捉えるようになりました。

それは、シェフパティシエになったことで、誰かが決めたレシピをなぞって作っていたときとは違い、デザートメニューを自分で考案できる機会を得たことが、きっかけでした。

一からデザートを創作し、提案を重ねていく内に、単に知識に裏打ちされた「調理科学」としてのレシピだけではなく、お菓子やデザートが元来もっているはずの、「ストーリー」に興味が湧いてきたのです。

 

日本では、「洋菓子といえば、フランス菓子」…というイメージが、どうしても先行しがちです。

しかし実際に現場に飛び込んでみてわかったのは、ひと口に「フランス菓子」といっても、決して国境でひとくくりにできるものではなく、さまざまな地域の歴史や文化、食材が絡み合って生まれたものであるということ。

その背景をより深く知って、表現することができたなら、お菓子やデザートの楽しみ方は、もっともっと広がるのではないだろうか。

シェフパティシエを務める内に、そんなことを考えるようになりました。


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「味」や「見た目」はもちろん大切だけど、それだけではない、3つ目の楽しみがあるはず。目には見えないけれど、お皿の上に確かに存在している「ストーリー」も、一緒に伝えたい。

そして「ストーリー」を伝えるなら、単なる知識としてではなく、まずは自分自身が実際に体験・体感しなければ、説得力はないはず。

自分の思い描くパティシエ像の輪郭が、日増しにくっきりとし始め、もはやそのウズウズは抑えられず。「これはもう、現地を訪ねるしかない!」…と決心し、世界一周の旅へと出発しました。

 

でも私は、ただ見たり食べたりするだけの、食レポをしたかったわけではありません。

世界各地を訪ね、見て・聞いて・食べるのは最低限のことにすぎず、なによりも「世界の郷土菓子を、現地で、現地の人々と一緒に作る旅」にこだわりました。

しかしそれは、想像していた以上にハードルが高いことで、ひとつの街で10回あたれば、9回は失敗するというのが常。

でも、少しずつ現地の人々に受け入れてもらいながら、気付けば、20カ国で成功することができました。

場所は、ある時はパティスリーであったり、ある時はブーランジェリーであったり、またある時は家庭のキッチンであったりと、さまざまな場所。

 

お菓子が生まれる場所に立ち入ることができただけでも貴重な体験でしたが、現地のつくり手たちと一緒に作る時間を共有することで、その国や地域の文化の、深い根っこの部分にふれることができたように思います。

それは、インターネットの世界の中で、右から左へと流れるレシピ情報だけでは得られない、貴重な体験。パティシエの私にとってはまるで、宝探しのような旅でした。


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そんな世界一周の旅を終え、改めて、わかったことあります。

一見当たり前のように思われるかもしれませんが、それは・・・


郷土菓子はその名の通り、「郷土」で育まれたお菓子。

その土地の風土の中で味わってこそ、はじめてその美味しさに気づけるもの。


・・・だということ。

 

例えば、インドの郷土菓子。

インドの郷土菓子は、びっくりするくらい甘いものばかりで、一度口にすれば、もう十分です……と思うものがほとんど。

でも、数日その土地に滞在しているだけで、不思議なことに、またそれを欲するようになり、気付けば旅のお供になっていた……なんていうことが、よくありました。


そして帰国後、あの味が忘れらず、早速インドの郷土菓子を作ってみました。

でも、現地のレシピを忠実に再現しているはずなのにも関わらず、まったく違う味わいに感じて、そしてそれは決して、日本での生活のお供にはならなかったのです。


しかし、それもそのはず。

その国や地域の歴史、文化、食材が絡み合って生まれた郷土菓子は、その土地の風土の中にあってこそ、ポテンシャルが最大限に発揮されます。

場所を変え、単にレシピをなぞってコピーしただけでは、元来持っている郷土菓子の価値を引き出すことはできません。

 

思えば、私たちのご先祖さまたちは、それをよくよくご存知だったのかもしれません。


例えば、「金平糖」。

日本の代表する郷土菓子のひとつである金平糖のルーツは、ポルトガルの郷土菓子「コンフェイト/Confeito」だとされています。

“南蛮菓子”として、戦国時代にはすでに日本に入って来ていたとされる、コンフェイト。

その伝統的な作り方は、フェンネルシードというスパイスを核にして、そのまわりにシロップをかけながら結晶化させるというもので、凹凸が浅く、一般的なキャンディに近い、硬さと甘さ。

一方の金平糖は、一粒のグラニュー糖を芯にして、シロップをかけて少しずつ大きくするという、なんとも気が遠くなるような工程を経て、深い凹凸と、シャリシャリと口の中で崩れる食感、そしてほのかな甘みが生み出されます。

 

このように、海外の郷土菓子からインスピレーションを受けつつ、日本人の口に合うように創作が加えられながら、「和菓子」として定着したものは、金平糖だけでなく、いくつも存在します。

それは、ただ現地の材料が手に入らないから代替品で作り変えた、という類のものではありません。職人たちが長年にわたり研究に研究を重ね、日本の風土の中に定着させていった、紛れもない「日本の郷土菓子」なのです。

そしてその“創作力”は、世界広しといえど日本はトップレベルにあると、世界各地での郷土菓子との出合いの中で、私は確信しました。

 

しかし、インターネットを主戦場とする情報化社会と、過剰なまでの物流スピード合戦が進む現代にあって、日本での海外の郷土菓子の扱いは、まるでステッカーのように剥がして、貼って、また剥がし、そして使い捨てられる…の繰り返し。

必要以上に脚色した“物珍しさ”を煽り、流行が生まれ、一時はお店に大行列ができたものの、いつしか誰も見向きもしなくなり、今ではその名前すら思い出すことができない。

現代の日本には、そんなお菓子がいくつもあります。


海外のものを、なんでもかんでも日本の風土の中に取り込めばいいというわけではありません。

ただ、そのお菓子が生まれた現地の歴史や文化に対するリスペクトと、日本人としての誇りが、あまりにも欠けているように、私は感じるのです。


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私たち日本人が、海外のお菓子の、現地のレシピをなぞって、現地の味をそっくりそのまま再現したとしても、その土地の風土の中で生きる、現地の人々が作った、現地で味わう「郷土菓子」には、どうしたってかないません。

 

では、世界一周の旅を終えた私が、これから故郷でできることは、なんなのか。

それは、世界各地で出合った郷土菓子を、日本の風土に合うように、日本で味わうからこそ「美味しい」と純粋に感じられるようなお菓子に、創作することだと考えています。


そして、それはもちろん、「味」や「見た目」に限ったことではありません。

かつて“南蛮菓子”が日本に伝わった時代にはきっと、献上されたお殿様にしか伝えられなかったであろう、現地の「ストーリー」。

こんなにも、世界中を自由に旅することができるようになった現代では、現地を訪ねさえすれば、それを誰もが知ることでき、そして誰にでも伝えられる時代です。

 

「味」や「見た目」はもちろん大切だけど、それだけではない、3つ目の楽しみがあるはず。目には見えないけれど、お皿の上に確かに存在している「ストーリー」も、一緒に伝えたい。

そんな想いを抱きながら出発した、世界一周の旅。


大量生産・大量消費の社会の中で、削ぎ落とされてしまったものの中にこそ、実は宝ものがあるような気がして、「世界の郷土菓子を、現地で、現地の人々と一緒に作る旅」の中で、それらを拾い集めてきたつもりです。


単なるモノのつくり手ではなく、現地で出会ったつくり手たちへのリスペクトを込めて、旅と郷土菓子のストーリーも届けられる。

そんなパティシエを目指して、これからは私の郷土である日本で、創作に励んでいきたいと思います。

あや

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\世界一周を終え、カフェをopen/



2 thoughts on “旅の終わりに。ー 旅するパティシエ・鈴木あや

  1. 文ちゃんへの目指すパテシヱ像は素晴らしいものですね。私は心から応援します。

    • 太田さん

      あたたかいお言葉をありがとうございます!

      ずっと応援していて下さり、心強いです♪

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