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ペルー~ボリビアの国境越えを見据え、さらに東へ

【day】19〜20日目
【route】マチュピチュ遺跡→マチュピチュ村→クスコ→プーノ


汽船の運行する湖では、世界で最も高地にある「ティティカカ湖/Lago Titikaka」

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その畔りにある町、プーノ(ペルー)を目指して移動します。
 

マチュピチュ遺跡からプーノまでの総移動時間は約16時間。さあ、気合いを入れなければ!

…と、出発する前に、プチ奇跡が・・・

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妻が“旅するパティシエ”として連載もしているKitchHike MAGAZINEのつながりで知り合った友人と、マチュピチュ遺跡のゲート前で再会!

旅程がかぶりそうだったことは事前に把握していたのだけど、まさか本当に会えるとは思いもよらず! 昨日マチュピチュ遺跡でみた虹は、やっぱり幸運の予兆なのでした。
 

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・・・と、朝からそんなステキなひとときを過ごしつつ、身分不相応だった宿「マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジ/Machu Picchu Sanctuary Lodge」、そしてマチュピチュに別れを告げます。
 

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まずはシャトルバスで、マチュピチュ村まで下山。
 

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そして、「アグアス・カリエンテス駅/Aguas Calientes」から鉄道とシャトルバスを乗り継ぎ、約5時間かけて再びクスコへと戻ります。
 

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クスコからようやくプーノ直通のバス(一人 S/.50 ≒¥1,750)へと乗車。この時点で時間はPM10:15。約7時間の車中泊となります。

例のごとく、乗り物では眠れない妻を尻目に、夫はそれはそれは安らかな眠りにつき…

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AM5:00、ついにプーノのバスターミナル到着しました!
 

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宿も目星をつけていた「マンコ・カパック・イン/Manco Capac Inn」(一泊一室 S/.50 ≒¥1,750)に、さくっと決定。
 

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そしてチェックインを済ませると、すぐさまツアーのお迎えが。
 

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実は、バスターミナルに到着したその足で、本日の「ウロス島」ツアー(一人 S/.30 ≒ ¥1,050)を予約していたのです。プーノには一泊だけの予定なので、ハードだけど巻いてきます~。
 

そもそも「ウロス島/Isla de Los Uros」ってなに?…っていう話だけど、一言でいえば「葦」でできた島

そういわれても、なんのこっちゃ?なので、早速行ってみましょ~

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桟橋には、モータボートがズラリ。
 

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そして、雄大なティティカカ湖が広がっています。

ここは海抜3,890m、面積8,300㎢の湖。そう、富士山よりも高いところに、琵琶湖の約12倍の大きさの湖が広がっているのです。

また、インカの創始者であるマンコ・カパックが降臨したという伝説が残る、インディヘナの人々にとっては聖なる湖です。
 

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モーターボートに乗り込んで、ウロス島へ向けいざ出航ー!
 

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昨晩のマチュピチュ遺跡からの移動で一睡もしていない妻は、いつもは眠れない乗り物の中にも関わらず、さすがに寝落ち…。
 

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そしてボートが行くこと約40分、突如「葦」に囲まれた水路に。
 

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そこを抜けると次第に、湖の上に浮かぶ家々が。そう、あれがウロス島なのです!
 

どんどん近づいて行くと…

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確かに島!!
 

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島の住人に迎えられて上陸すると…
 

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足下は、確かに葦!!
 

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この島はなんと、「トトラ」とよばれるティティカカ湖に自生する葦を積み重ねてできた、“浮き島”。
 

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さらに、ウロス島は一つの島だけを指すわけではなく、トトラ群生地の中に大小合わせ約40の島が浮いていて、それらの総称なのだとか。


しかもこのトトラという植物は・・・

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食べられる!!
 

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家になる!!
 

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舟になる!!


・・・なんて経済的かつ万能型の葦なのでしょう。

…と、思ったけど、トトラがスゴイだけでなく、この環境下で生きる工夫を重ねてきた人々がスゴイのだ、と思い直す二人。


ウロス島の歴史は、インカ時代に賤民として追われた、もしくはスペイン人の侵略に追われた「ウル族」の人々が、ティティカカ湖上で生活をするようになったことがはじまりと云われています。

そう、彼らは命をつなぐために、ここで生きていくしかなかった。
 

ティティカカ湖で獲れるという、おそらく「マス」

ティティカカ湖で獲れるという、おそらく「マス」

食用に処理済みの、ティティカカ湖に生息する水鳥

食用に処理済みの、ティティカカ湖に生息する水鳥


しかし、それが事実であるとすれば、現代ではおそらく彼らには、ここに棲む“必然性”はない。

加えて、先住民であった「ウル族」の純血はすでに1957年に絶え、現在この島に住んでいるのは「ケチュア族」「アイマラ族」の混血であるという現実も。
 

しかし、観光需要でご飯が食べられるという、この島に棲む“必要性”が、現代でもペルー社会のマイノリティである彼らの中には、おそらく存在しているのではないでしょうか。

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…でなければ、こんなにも不便なところで、わざわざ太陽光発電を設置してテレビを見たり、音楽を聴いたりすることもないのでは?
 

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…でなければ、あまりにも小さすぎる“土”の陸地部分で、おもいきりボールを蹴れないサッカーをすることもないのでは?
 

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そう、彼らは、どれだけ昔ながらの民族衣装で身を包もうが、どれだけ昔に倣ったトトラと共にある生活を送ろうが、結局は私たちと同じ現代人。
 

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決して、この島の在り方や人々の暮らしに難癖をつけているのではなく、ツーリズムは人を救うという縮図を、この小さな浮島でみることができたように思うのでした。

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*世界一周の旅を経て、
お菓子ブランドをスタート!




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