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キューバを歩いて改めて考えた、社会主義と、資本主義と、理想主義と


「モノ」から「コト」へと価値観がシフトしている……と言われて久しい、日本社会。

確かに自分自身もいつしか、物理的な「モノ」の所有欲を満たすことよりも、経験や体験など目に見えない「コト」に価値を感じるようになっていたし、今になって思えば3年前に出版社を辞めたのも、“モノ消費”のサイクルから抜け出したかったというのが、その理由の一つだったのかもしれない。

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しかしながら今回のキューバの旅で痛感したのは、陳腐かもしれないけど、当たり前のように「モノ」のある社会が、どれだけ貴重で、どれだけ脆弱かということ。

この国に来る前からどこかでわかっていたような気もするのだけど、「モノ」よりも「コト」…という価値観は、「モノ」が十二分にある社会に身を置く人間ならではの、それはそれは贅沢な思考であり、嗜好だと思う。もちろん、どこまでの「モノ」を享受することが満足/不満足なのかは、人それぞれではあるけれど。

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これまで何度も書いてきたけれど、キューバにはとにかく、「モノ」が無い。それは、金さえ積めばどうにかなるというものではなく、文字通りそこには「モノ」が無いのだ。

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僕がキューバに滞在したのは、アメリカ合衆国大統領 バラク・オバマの歴史的訪問直前の一週間。この国で政治的な話しは非常にセンシティブで避けるべきなのだけど、とあるキューバ人男性に、思い切ってこんな質問をしてみた。

「オバマ大統領がやって来るけど、キューバの人々はどのように受け止めてる?」


すると彼は、間髪入れずにこう答えた。

「そりゃ大歓迎さ! 我々には今、助けが必要なんだ!」


あっけらかんとそう答える彼の態度に非常に驚かされつつ、なによりも「助け」という言葉が非常に印象的だった。

「モノ」が無いという共通点はあっても、貧困問題を抱えるアフリカの人々が求めるそれとは違う。社会主義国・キューバの人民が求める「助け」はおそらく、経済援助で救われるものではないから。

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資本主義=「モノ」が有る社会、社会主義=「モノ」が無い社会…と安易なことを言っているわけでは決してない。ただ、個人が努力をしても「モノ」が手に入らない社会を目の当たりにした今、なぜ資本主義国が興隆し、社会主義国が衰退していったのか……その歴史を本当の意味で理解できたように思う。

・・・とはいえ、「モノ」の大量生産・大量消費を繰り返してきた資本主義の限界が叫ばれる昨今、もはや社会主義と単純に比較して、二者択一でその優劣を決めるような時代でもない。

そう考えたとき僕はやはり、尊敬する革命家 チェ・ゲバラを思い出した。

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キューバ革命の立役者の一人でありながら、“共産主義的なモラルを欠いた社会主義経済には興味がない”として、ついにはフィデル・カストロと袂を分かった男。


国境を越えて、彼が今なお多くの人々に支持されるのはなぜなのか?

資本主義でも社会主義でもない、究極の理想主義者が追い求めていたものは、一体何だったのか?


チェ・ゲバラがボリビアでのゲリラ活動中に命を落としたのは、もう50年も前のこと。時代錯誤だと言われそうだけど、考えれば考えるほど、彼の思想にこそ次の時代のヒントがあるような気がしてならない。

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「あ〜〜〜 ゲバラのこと、もっと知りたくなっちゃったな〜」


・・・と、妻はそっちのけで、悪い癖の小難しいモードに入ってしまった、キューバの旅の終わりなのでした。

ひでつぐ

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*世界一周の旅を経て、
お菓子ブランドをスタート!




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